映画と絵本の小部屋

映画と本をこよなく愛するお父さんのブログ

Archive for 9月, 2010

絵本と育児と言葉と生活

水曜日, 9月 29th, 2010

部屋とワイシャツと私~って古い歌。 標題を書いていてちょっと思い出しました。年がばれるね。 絵本と育児と言葉と生活、というのは、なんというか、我が家ではこれが割とつながっている感じがするんですね~。 うちの子が生まれる前から僕の周りには絵本を読んで子育てをしよう!と言っている人が多かった。おかげで、我が家には息子の誕生以来、プレゼントで多くの絵本をいただいた。生まれてすぐは言葉もわからないだろうけど、体を触ったり、ほっぺをくっつけたりする絵本で育児の方法を無理やり実践するようなところもあった。まあ新米パパ一年生にとってはとても便利なツールだった。絵本にはホントにさまざまなシーンを描いたものがあるので、生活のすべてをここから学ぼうとしてもそのバリエーションには事欠かない。朝の挨拶から食事のルール、日常でつかうさまざまなものの名前など、すべて息子には絵本を通して教えた感じがする。絵本で育児をした感じだ。 息子はそのかい?あってか、1歳半には言葉を話すようになり、2歳で相当達者な話ができるようになった。親ばかといわれそうだが、現在5歳の息子は、ひらがなカタカナは全部読めるし、字も相当自分で書ける。ナカナカ優秀だ。今でも絵本の相当の部分を覚えていて、今はほとんど読まなくなった赤ちゃん系の絵本も内容をよく知っており、3歳下の妹(僕の娘)に読んで聞かせることもある。優しい子に育ちました。 娘は、上にかまっていたおかげで、なかなか絵本を読んでやる時間がなかった。その結果かどうか知らないが、2歳半になるのになかなか言葉を話さない。まあそんなに心配をしているわけじゃないけれど、絵本を通した育児が上の子と比べて十分にしてあげられなかったせいかなあ、とやや反省気味です。

宮沢賢治の童話の世界を絵本で楽しむ

水曜日, 9月 22nd, 2010

ミキハウスから宮沢賢治の童話が絵本になって刊行されている。 もちろん今までも多くの出版社がこの巨匠宮沢賢治の童話を絵本化してきたが、このミキハウスのシリーズは絵を描く人と、童話の組み合わせが特に秀逸でとても良いシリーズだと思う。 僕の手元にあるのは、この3冊。 『狼森と笊森、盗森』 『なめとこ山の熊』 『注文の多い料理店』 たとえば『狼森・・・』ではこういうセリフがある。 ----------- 「ここへ畑起こしてもいいかあ」「いいぞお」森が一斉にこたえました。 みんなは又叫びました「ここに建ててもいいかあ」「ようし」森はいっぺんにこたえました。 ----------- これを息子に読んで聞かせたとき、息子は「森は人間と話ができるの?」と聞いてきた。 僕は、そうであってほしい、という思いもあるので、「昔は人間と森がもっと近くに住んでいたからこういう会話もできたんじゃないかな」と答えておいた。 実は、この会話に象徴されるような、いわば”土着”の匂いが、僕がかつて宮沢賢治の童話をうまく読んでこれなかった理由のひとつではある。 これまで僕は『注文の多い料理店』とか『銀河鉄道の夜』、それにいくつかの詩を知るのみで、わりあい土のにおいのする感じに抵抗があって、まじめに手にとる機会がなかった。 ところが年をとり、また子どももでき、改めて手に取ってみると、これが本当によい。スバラシイ。 今回、あるきっかけで、このミキハウスのシリーズを知り、冒頭でふれたようなその絵とのマッチングのすばらしさもあり、いまさらながら宮沢賢治の童話の世界の面白さにひかれている。 『狼森と笊森、盗森』は、片山健さんが絵をつけている。 絵は、表現が悪いかもしれないが、細部の書き込みがされているというよりは、粗いタッチで実は細かいところは明瞭ではない。 色も明るい色より暗めのものが多いのだけど、これが、人間と森がもっともっと近く暮らしていた時分のある雰囲気をとてもいい感じに表現しているように僕は思った。ろうそくの明かりのもとでの感じとでもいうのか。 『なめとこ山の熊』も、もしかして教科書で昔読んだことがあるのかもしれないくらい有名な話だけれど、今回改めて読んで、とても感動した。 猟師が獲物であるクマを撃ち殺してからつぶやくこういうセリフがある。 ---------- 「熊、おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。てめえも熊に生まれたのが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい、この次には熊なんぞに生まれなよ」 ---------- ストーリーはシンプルだが、言葉のひとつひとつがとても吟味されていて、物語の雰囲気全体を形作っているなあと思う。ここで使われている「因果」という言葉も、改めて深ーーい言葉としみじみ。 まだ息子からその質問はないけれど、もし聞かれたらなんて教えてあげるのがよいだろうか?仏教用語辞典でも読んでおこうか、そんなことを考える。 この絵は、あべ弘士さん。熊が血を流しているところなど、刺激的な感じもあるけれど、これも物語の雰囲気をとてもよく盛り上げている。 『注文の多い料理店』の絵はスズキコージさん。この、やや不可思議な、不条理な話にぴったりの作家じゃないか。 宮沢賢治の童話は、やや長くて、小さい子どもに読ませる絵本としてはやや不向きな点もあるかもしれないけれど、すばらしい絵とセットになることで、その世界観がより具体的に、さらに深く表現されているように思う。僕が思う以上に子どもは物語を楽しめちゃうのかもしれないなあと思って、わかっているかわかっていないかわからないまま5歳の息子に読んで聞かせる日々である。

動物園にできること

火曜日, 9月 21st, 2010

先日、愛知県犬山市にある日本モンキーパークに行ってきた。 川端裕人さんの著書『動物園にできること』をもう数年前に読んだのだが、なかなか感じ入ることが多かった名著だ。その中でうろ覚えなのだが、日本モンキーパークの動物の展示方法が画期的だった、と書いてあったような気がして、いつか日本モンキーパークへ行かねばとずっと思っていたのだ。 というわけで、30数年ぶりの再訪。 で、これが面白かった。ワオキツネザルはほとんど放し飼いで出会うことができるし、メガネザルは島ひとつに野放しにされているところに人間が入っていく感じ。テナガザルは20メートルはあろうかという高い高い塔の上でのんびりと人間を見下ろしている。 ちなみに川端さんの著書で覚えたランドスケープイマージョンとエンリッチメント、という動物園を語るキーワードに対する一つの答えがここにある、というような記憶をたどって今回日本モンキーパークへ行ったのだが、行ったあとでその原典をたどってみたところ、隣接の京大霊長類研究所のチンパンジーの展示方法について書いてあったんだった・・・・。 うーん勘違いだったか。 ま、いいじゃん、とっても楽しめたんだから。

紙芝居と絵本

木曜日, 9月 16th, 2010

ときどき多くの子どもの前で絵本を読む機会があるのだが、これが簡単なようでいて実は割と難しい。 自分の子どもに読んであげているときと比べて声を大きく出すとか、そういうこともあるのだけど、実は絵の見せ方が難しかったりする。本を開いて、適当な高さに掲げてあげないと後ろの子どもは見えなかったりするし、開き具合が甘いと絵が十分に見せられていないこともあるし・・・。 一般的に自分の子どもに読むときは、ひざに乗せたり、横に一緒に座ったりして読むことが多いと思う。 なので、いってみれば本に向かって自分がどこに立っているのか、という位置関係が、普段の家での状態と大勢の子どもに読んであげるときとでは異なる、ってことなんだろうけど、このへんは、”スキル”なので、やって繰り返して慣れていく、ということがある程度必要だろうなあと思う。 そういう”読み聞かせ初心者”には、紙芝居がオススメだ。紙芝居と絵本は、似て非なるもの、という感じがしている。紙芝居はやはり「演じること」を前提にしたものだからだ。その意味では大勢の前で読むには割とやりやすいんじゃないかなあ、と思う。 しばらく前、紙芝居を自転車に乗せて演じている本業は女優の方がいた。失礼ながら女優としては無名だが、演技自体は当然うまくて、ちなみに演目は「へっこきあねさ」。すごいおならを出すお嫁さんの話でいろんなバリエーションがあるけれど、これはなかなかおもしろかった。

丸善×ジュンク堂

月曜日, 9月 13th, 2010

丸善とジュンク堂が合体?して初めての書店が開店したというので出かけてきた。 場所は渋谷の東急本店。ワンフロア-1300坪がすべて書店というのだから、書店としては最大級の広さ。 しかしこれがつまらない本屋だった。ジュンク堂はそもそも東京都内の店しか知らないのだけれど、池袋も新宿も最初はつまらん店だったが、その後みるみる改善し、特に池袋はなかなか楽しい本屋になったので、もちろんいつものパターンなのかもしれない。 けれど、背の高い什器が整然とならぶ中に、新刊台が割とインパクトある形でうまくメリハリのつく展示がされていたりする、そういうスタイルが今回はほとんど感じられなかった。 さらにつまらないのは、ダブルネームでの出店といいながら、本屋部分はジュンク堂、文房具は丸善、と明確に分かれていて、しかもレジは別で一緒に会計できない、というしょうもなさ。 そして、またまたさらにつまらないのは、その書籍の展示内容と客層。人が群がっているのは文庫本のあたりだけで、ほかはそうでもないし、絵本児童書はものすごく少なくて品ぞろえも悪いし、これは開店時のMDと客層が読み切れていないこと、だけではなく、そもそもあそこに「何でもそろう本屋」が必要なのか、という疑問が僕にあるのでこう思うのかもしれない。 「何でもそろう本屋」というのは、逆に何も選んでいないことになる。 出版不況だ、ネット販売だ、電子書籍だ、などなどリアル書店をめぐる環境は厳しい。しかしそれは、リアル書店が結局は自身の販売モデルを更新できていないことからくるのだと僕は思う。「何でもそろう本屋」がはたして東急本店で求められているのか、ということに、開店後みるみるよくなる”はず”のジュンク堂がどうこたえるか。しばらくしてから改めてのぞいてみたいと思う。

「だいちゃんとうみ」~子どもにはこんな夏休みを

月曜日, 9月 6th, 2010

夏の暑さが続いている。保育園では例年のスケジュールということでもうプールの時間はなくなってしまったが、子どもたちはまだまだ冷たい水で涼をとりたいだろうと思う。かわいそうである。 夏休みというと、我が家の場合は、田舎に帰省をして、存分に自然の中で遊ぶことを例年の行事としている。やっぱり子どもには自然の中で虫を捕ったり、水で遊んだり、野菜を収穫したり、そういうことを経験させてやりたい。 幸い妻の実家は農業をしていて、川もすぐそばにあり、ほんとうに貴重な体験をいろいろすることができる。我が息子は僕も経験したことのないようなナスやトマトの収穫、オニヤンマの羽化、カマキリの脱皮、などなどをすでに5歳にしてもう何度も経験をしている。ウラヤマシイ。 --------------------------------- 僕の理想とする夏の一日を体現した絵本が『だいちゃんとうみ』だ。ここには、海遊びも川遊びも、みんな外で食べる浜辺での昼食があり、そして、木の上で夕方を過ごす時間も描かれている。作者の太田大八さんは長崎の出身で、戦前の生まれなので、どうやらそのころのご経験が表現されているのではないかなあと推察するのだが、とても豊かな時間が流れている。 我が実家には、ほんとうに豊かな田舎の生活がまだ残っていて、とてもよいのだが、海だけがちょっとないんだよね~。ま、贅沢を言っていると僕も承知しています。

インテリジェンスについて

月曜日, 9月 6th, 2010

ある人が冷戦後、スパイの活動の範囲がせまくなってしまい、あるいは情報というものが共有されすぎてしまい(たとえば「機密費」というものがあからさまに語られるようになる!)、かえって国際関係はぎくしゃくし、国同士のエゴがバランスが取れなくなっているのではないか、と言っていた。国同士の、余白の部分、バッファがなくなったということだろうが、これは一理あるかもしれない。 最近、(いまさら)アメリカでスパイをしていたロシア人が逮捕されたというニュースが流れたが、それで思い出したのが、ジョン・ル・カレの一連の小説だ。 彼の作品で、好きなのは特に『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』と『寒い国から帰ってきたスパイ』。しかし彼は冷戦終結後も、いわゆる国家間の情報を盗む話ではなく、今度は国際的な企業の情報を”スパイ”する話として、名作『ナイロビの蜂』という作品も書いている。 彼自身、オックスフォード大卒業後にスパイをしていた、という経歴があるようで、その実経験に裏打ちされたディティールが、その小説を支えている。 面白いのは、スパイが得る情報というのは、何も色仕掛けやわいろで特別なルートを開拓して獲得する(もちろんそういう部分で、ある意味の情報の「補強」をすることがあると思うが)より、そのほとんどが、「既知」あるいは「公知」な情報の細かな分析と編集によるものであるというところだ。ル・カレの小説にはそのあたりのことがよく書かれていて、この辺が大きな魅力だと思う。スパイというと非日常の感じがするが、なんだか、すぐ隣で行われていて、手が届きそうな気がする。 先日、以前知り合いになったN経新聞の割と偉い方のご自宅でお話をうかがっているとき、新聞記者らしくいろいろな情報を収集、編集されているのだが、その方いわく「今は産業革命が始まっている」と。時代は石油から電気になる、ということらしいのだが、確かにその視点で新聞記事を丹念に拾ってみると、 ・メジャーといわれる石油会社が今、大きな「電池工場」を開発している ・日産ほかが電気自動車を本格的に開発、販売しようとしている などなどの情報がたしかにいたるところで報道されていることがわかる(もっといろいろな傍流の情報があったのだが忘れた)。 別にこの方はスパイでも何でもないのだが、情報を扱うプロとして、既知あるいは公知の情報を読み取る力があるなあと(まあ大先輩ですが)、いつも感服する。 世の中は情報にあふれているが、その中で何か一本の流れを整理し、見出す力、というものを持ちたいものだといつも思う次第。